ケンカはいけないこと?

ケンカとは、自分の思いを出すことです。自己主張ができるのは3歳くらいからではありますが、0,1歳でもケンカはしています。お友達が持っているものが欲しくて、とりにいって、ケンカのような状況になります。おもちゃをとって、相手が泣いて、そこで初めて相手が泣いた、、すると1歳児は泣いている子をじっとみつめ、動きがとまります。相手が泣いた。そこを感じる。

ただ「ごめんなさい、って言って」と大人に促されたので「ごめんなさい」というのは、ごめんなさいを言ったらおしまいになってしまいます。泣いている子をみて、動きがとまって、相手の頭をなでたりする、それが「自分がまずかった」という表現なのです。それは相手の思い、自分の思いがわかり、感じる心があるからこその表現なのです。

情緒やそれ以前の話で、まずは感じる心がわかることが大切です。「泣かせてしまったな、でもこれは僕が欲しかったんだ」という強い思い。そう感じる自分の感情がわかる、ということが大切です。

ケンカするほど仲がいいというのは、ケンカをすると相手の気持ちがわかるからです。最近のケンカは相手を傷つけるためのケンカ、いじめになっていますが、この幼児期に自分の思いをだす、相手の思いを受ける、というストレートな気持ち、自己主張を通じた関わりができているとブレーキをかけることができます。基本的に集団の中で育った動物は、自分の引きどころがわかりますが、一匹オオカミで育った動物は、相手を殺すまで戦ってしまいます。今、人間がそうなっているように思います。ここまでやったら相手が死んでしまう、という事がわからないのです。たたかれたら相手が痛い思いをする、相手を泣かせたら、これ以上やったら傷つくというのを体感して、ブレーキをかける事ができる、それがない子どもたちは、相手が死ぬまでやってしまいます。今までは兄弟がいたので、兄弟喧嘩を通して体験していたけれど、今は兄弟が少ないので喧嘩になかなかなりません。遠慮して大人の顔を見ながら喧嘩をしている子は、大人がいない時にどこまでやるかわかりません。そういったことも、自分の中で、すべていいことも悪いことも体験しながら学んでいくことが、前頭葉を鍛え、律する力が育っていきます。大人の理屈は子どもには通用はしません。相手が泣いた時に、ピヨの子どもたちは止まります。「どうしようかな、こまったな」という止まった「間」が、人間につづく「間」になります。関わり合う仲間の間、考える間、集まる環境の間(自分たちが動いて泥んこや水遊びをする間)。その遊びきる時間、ちょっと考える間が必要です。間ができて、始めて人間になります。人間になるために、相手の思いに立つために、ケンカほどいい教材はありません。

ただ、いつまでも身体で戦うのではなく、4歳になるとお話もできるようになるので、「いやだ、いやだ!」といっているのは3歳くらいまで。4歳以降はことばで気持ちを伝えることができます。「いつまでもひっかいたりしていないで、ことばで伝えるんだよ」と大人は言葉で間をつなげてあげることが大切です。それでもどうにもならなくて、相手に身体ごとぶつかることもありますが、暴力で解決ではなく、話し合いで解決することが大事です。暴力での解決は弱肉強食、金儲けももうかればいい、という風潮がありますが、6歳までに人と生きる力、交わる力をつけていく段階では、人のことを感じる、人の思いを感じること、自分の思いがわかるように育っていくということが大事です。

「ヒトから人間へ」という発達の過程において、ケンカはとても大切なのです。

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