「さくらさくらんぼ保育」ってなあに?
故・斉藤公子氏が考案したさくらさくらんぼ保育とは、ヒトが人間に進化するというところの、大きな人間の進化にそって子どもが発達するという考え方です。私たちは35億年の歴史の中での魚から両生類、哺乳類、サル、人間という進化の過程を、胎内で繰り返しています。卵から、魚のようなえらがでてきて、水かきのついた手が出てきて、その次にしっぽがでてくる。魚は目が横についていますが、人間の目も最初は顔の端にあり、徐々に中央に寄ってきます。哺乳類からサルの状態、つまりしっぽや体毛に覆われている状態からだんだんと毛が抜けて、人間の形となって生まれてきます。その人間の進化にそって、子どもも発達成長していきます。
赤ちゃんは、魚のように、また羊水の感覚をなつかしむように、水を求め、水に惹かれ、無我夢中で水の感覚を求めます。魚から両生類に進化する過程では、水から土への舞台が移り、水から這いあがって土で遊び込みます。そして両生類から哺乳類へ。両生類は集団で生きていませんが、哺乳類は集団で生きてゆきます。そしてその次はサル。子どもは立ち上がった時に、最初はまっすぐ歩けないので、手がだらんとして、サルやオラウータンのような歩き方になりますが、そのように立ち上がり、しっかり前をむいて歩き、跳ねたり跳んだりします。二足歩行をし、道具を使い、言葉を話す、これが1歳過ぎた子どもたちの姿です。その手がやがてぱっと開き、手と親指が離れるようになる。指は突き出た脳といわれますが、指を通して脳を育てます。サルとヒトの新生児を同時に育てて比較してみると、2歳ごろまではサルが知的にもヒトにまさっていますが、その後はヒトが著しい発達をします。ヒトが胎児期も、幼児期も、青年期も他の動物とくらべて長いのは、神経系が非常に高次になっていて、複雑に発達しているために、その準備に時間がかかっています。(斉藤公子「斉藤公子の保育論」)そういった進化の過程にそって、物事を考える、判断する、物を作る、創造する、「ヒトから人間になる」というのがさくらさくらんぼの考えになります。
食欲、性欲、集団欲、という基本的な欲求があります。食欲とは食べること。性欲とは人を愛すること。集団欲とは、人間は一人では生きていけないということ。今は集団欲とはいわず、睡眠欲と言う人もいますが、そうではなく集団欲です。欲として現れるのは食欲→性欲→集団欲の順番になります。そして壊れていくのは、一番最後に獲得していったものから壊れていく、つまり集団欲→性欲→食欲の順番です。ひとつひとつ、人間の進化にそって順番に動物としての力をしっかり育てていき、その上にヒトになるために、人と関わる、友達や親と関わる力を育てていくというのが大切です。発達はすべて順番に育っていきます。早いこと、できることがいい事ではありません。赤ちゃんは首がすわり、肩がすわり、腰がすわり、座れるようになったらハイハイや高バイができるようになり、立ち上がります。身体の上から力がついていく、という順番が大切です。発達は、あるべき順番できちんと育っていくとひっくり返りません。ハイハイしないで立ち上がった子は、転びやすくなります。
五感も触角→視覚→聴覚の順で育っていきます。アメーバは目も耳も口もない、触角のみです。山口創氏の著書「人は皮膚から癒される」にありますが、触角というのは感覚の中の一番の土台です。触角は、熱かったら手が離せるように、生きるために身を守ります。嗅覚も昔は冷蔵庫がなかったころは食べ物のにおいをかぎ、食べられるかどうかを自分の身体で判断していました。赤ちゃんの身体をさすりながら、声をかけながら、水や土を通し触角を刺激しながら保育を行っています。すべて化学的に立証されている事をもとに実践している保育です。でも、人間になるためには、化学的に決まった通りに育つということではありません。人はそれぞれ遺伝子が違うので、同じように育てようとしても無理があるのです。なので、一人ひとりの子どもに合わせて、その発達も踏まえて、一人ひとりを大切に、また化学的な裏付けをものに、今をしっかり育てていくことが未来につながります。
もうひとつ、斉藤先生の時代は戦争の時代だったので、正しいことは正しいと言えることを重んじておられました。戦争でどれだけ多くの子どもやお母さんたちが悲しい思いをしたか。やはり平和の中で子どもたちが生きていく、ということが大切です。
身体づくり、自分づくり、仲間づくり、の中で自分というのが大事です。おりこうに聞き分けの良い子になるのが親は楽だけれども、自分というところが弱くなります。日本の子どもは世界の中で自己肯定感がすごく低いと言われていますが、自分が大事ということを、子どもが感じることができていない。お母さんたちは、「これが大事、あれが大事」といろいろなことを一生懸命子どものためと思いやっているが、子どもにとってそれが大事だと感じられているかどうか。なんでもやってあげることが大事なのではありません。大田尭氏も「細胞はみんな違うので、一人一人違うのは当たり前」といっていますが、身体の弱い子がいたり、障がいを持った子がいますが、そういった人たちが一緒になって人間になっていくのです。障がい児は自分に合わないと、受け入れてくれません。でも健常児は、親の思いや保育士の思いを感じ「しょうがない」といって大人に合わせる事ができてしまうから、自分が弱くなることもあります。2,3歳児の自己主張、仲間との関係の中でたたかれて受け入れてもらえない、という経験が大切です。自分を表現できる自由度で、幼児の成長がぐっと変わってきます。
「なにかができる」というよりは、自分がどういうふうに生きていくのか、自分は何が欲しいのか、という「自分がわかる」ことが大切です。いろいろ考えた結果、最終的に自分のことがわかって、自分の道を自分で決められることが、人間は幸せだと思います。自分が納得した人生を送る。そういった人間に、向かっていければいいと思っています。
0コメント